なくしたもの

昔好きだった音楽、よく聴いていた音楽を久しぶりに聴くと、当時の思い出に襲われ、昔の自分を思い出しますね。。

昔はよかったと大人はよく言うなぁ。。と思っていたのはつい最近だったはず。今では自分が昔を振り返り、よき時代を懐かしんでいる。年をとるということはこういうことなのか、それともこうやって人は老いていくのか。前者は単純に年齢的な避けられないこと、後者は後ろ向きな「老いて」いくこと。

今と昔を比べて、決定的に違うのが居る場所。地理的な場所もあれば、社会的な場所もある。

昔はシカゴに住んでいた。19歳の頃から23〜24歳の頃までなので、20代の半分近くを海外で生活していたことになる。自分にとって一番「よかった」時代。決して楽しいだけではなく、つらい事もたくさんあった。けど、なんというか充実していた。暇をもてあましていた頃もあったけど、不思議と無駄だったとは思わない。そんな頃。初めて一人で暮らし始め、言葉もよく分からない場所で生活をし、今の妻と出会い、気がつけば英語も話せるようになり、大学も卒業していた。これが5年くらい。

シカゴに居た頃は、学生だった。本当に好きなことを何のプレッシャーもなくやっていたような気がする。学校の勉強はそこそこ楽しかったし、それなりに学んだこともあった(多少は大変でもあった)。暇なときには分かりもしない哲学の本を読んだり、好きな音楽を聞きながらインラインスケートでフラフラしたり。一日中今の妻とチャットで過ごしたり。別に何がどういうわけでもないのだが、非常に自由だった。

今は日本に戻り、社会人として生きている。それも嫌になるくらい普通の社会人。会社ではもう4年目ということで、軽く3年以上が経ってしまった。学生時代の時間軸で考えると、3年という期間でどれだけ学び、新しいことを吸収したか。社会人として何を学んだのか。何を得たのか。仕事の仕方はわかった。これはいい意味でも悪い意味でも。アメリカで学生をした同じだけの期間と比べたとして、どれほどの意味があったのか。こう考えるとわかりやすい。時間を戻せるとして、もう一度やり直せるとしたら?間違いなくアメリカに渡り、学生生活をしていただろう(多少はよりよい生活はするだろうけど)。しかし、今の会社に勤めるかどうか・・。今日が人生最後の日だったとしたら、今日これからすることを果たして本当にするだろうか、とある人は言った。では、これからの3年間が人生最後の3年間になるとしたら、今後3年間で予定していることを本当にするだろうか。

少し話を戻して、もう一度やり直せるとして、今と同じ会社に勤めていたか?答えはNO。だが、つらいのは、では何をしただろうというのが見えない。日本で社会人を3年やると、こんなこともわからなくなる。学生時代はAIが好きだった。ターミネーターの実現(心の優しいor無害なバージョン)を本当に夢見ていた。このブログでも当初はAI関連の話が多かったはずだが。。入社した当時、ある先輩とAIの未来を熱く語ったことがあった。そして、将来は大学院に戻って、一流の学者になると。社会勉強として就職してみただけなんですよ、と。その先輩はえらく気に入ってくれて、一言こう忠告してくれた。「日本の社会に変えられないでね」、と。

自分は絶対に変わらないだろう。そんなことは当たり前だと思っていた。気がつけば3年以上が経ち、すっかり変わった自分に驚いている。前が見えないということがこんなにつらいことだとは、昔の自分には想像もできないだろう。