読書に必要な想像力

東洋経済 最強の「読書術」(2008年6月21日増大号)で、齋藤孝 教授の記事になるほどと唸った。

以下、一部抜粋。

そこで重要になってくるのが「人生にかかわる読書」をどれだけしているかということである。

(中略)

偉大なる先人たちの思考の軌跡、言葉の息吹に触れる読書こそが、長い目で見て人生や仕事に生きてくるのだ。
先人の本を読むときには、著差に私淑し、教えを請う気持ちで、実際に著者と対面しているつもりで読む。たとえばロダンであれば、「ロダンが自分の目の前にいて、死ぬ前に創作の秘密を自分だけに打ち明けようとしてくれている」という心構えで読むのだ。
すると見開きの2ページが、珠玉の言葉であるれていることに気づくだろう。

(中略)

先人と対話する気持ちで読むというのは、あくまでもイマジネーションにすぎない。しかし、そのイマジネーションを自分のものとして「技化」できるかどうかが、人生にかかわる読書をするときの最重要ポイントになる。

(中略)

私は「本は人の目をくらませる」と考えている。本は印刷された形で大量に売られているから、いつでも簡単に読めると思いがちだ。しかし、たとえば世阿弥の「風姿花伝」は一族繁栄のために書かれた門外不出の書。本来であれば、われわれが目にすることなどできなかった書物だ。
そんなすごい本を、私たちはわずか数百円で入手できる幸運に恵まれている。しかも、その本を開けば、世阿弥自身が一族繁栄のための秘密を惜しげもなく公開してくれているのである。そう考えれば、一言一句、おろそかにはできないはずだ。「人生のかかわる読書」では、現実に著者と対面しているような緊張感を持って読書に臨みたいものである。

あたかも著者と対峙しているかのような想像力がもてれば、本を読むレベルは格段に向上するはず。ニーチェと対話できるとすれば想像しやすい。
齋藤教授の言っている、「人生にかかわる読書」はもちろんのこと、普段のどのような読書においても重要。どんな本でも、少なくとも数十時間は費やされているはず。それだけの思考・思索が重ねられたものであり、読み手がうわの空では話にならない。

逆にそれだけ時間を費やされたできた書籍が数千円で得られるというのがすばらしい。齋藤教授の言っている「風姿花伝」の例はその点で明快でわかりやすい。それを実感できない人が、自分を含めて、多いのでしょう。

さらに、今はブログの時代。生きている著名人との対話が文字通り可能となっている。よく考えれば、なんという時代なのでしょう。過去の偉人にブログをする機会があったらと考えると面白い。情報、技術の力はすばらしいものだと、再認識。