「できない」理由

先日の講演会で、大前さんが、高齢者向けの施設の話をしていました。いわゆる介護施設ではなく、高齢者向けの集合リゾートのようなもの。海外では珍しくはないとのことだったが、私は、「なるほど!」と一人で興奮していました。 時代の必要性もあり、とにかくなんとハッピーで前向きなビジネスだろうと。高齢化社会というと、福祉で人が足りないとか、医療費の負担がどうの・・と暗いイメージばかりでしたが、考え方を転換するだけで見え方が全く変わってしまうものです。ニコニコと人生を謳歌している高齢者を想像するだけで楽しくなってきそう。

さて、こんな話を人に話すと、最初はいいアイディアだ、とは皆言うもの、そのうち「なぜそれができないか」と駄目な理由の討論会になってしまいます。何が怖いのかというと、このような「できない」理由が、あまりにも賢く、正しそうに聞こえること。また、このような発言も、一般的に成功しているような尊敬されるべき人間から発せられる点もあります。この悟ったかのような「難しいんだよね」にどれほどのアイディアがつぶされてきたか。

日本ではとりわけ多い現象ですが、アメリカなんかでも程度の差はあれ同じのようです。Guy Kawasaki氏もThe art of the startという講演で同じようなことをいっていましたね(Kawasaki氏は、このような輩をBozoと呼んでいます)。シリコンバレーなんかでは、「面白そうだからやってみろ」といってくれる空気が大きいそうですが、実際やはり日本の空気とは違うんでしょうかね。