Kindleに思う

先日インドネシア出張に行ってびっくりしたのは、基本的な英語力の高さ。
取引先の社長息子(中学生と高校生)ともご飯食べたり
観光連れて行ったりしてもらったが、英語はかなり流ちょう。
エリート教育すげぇと思ったんですが、私立にいけば普通にこれくらいしゃべれるとか。
(英語だけでなく、目上に対するマナーや、基本的な知識レベルも素晴らしくって、
ムスリムの習慣から、一般文化、不動産情報(!)までいろいろ教えてくれました。)
たまたまこの家庭の教育がすごいのかもしれませんが、
本当に日本の将来が心配になってしまうくらい、素晴らしいご子息でした。


取引先の社員さんでも、基本会話はだいたい英語OK。
輸出入案件は我々が初という感じだったので、
別にとりわけ英語に強い会社でもないようです。
ビジネス界での英語アレルギーはほぼないという印象でした。


Kindleは100カ国以上に出荷されているようですが、
これによって世界中の人々が手軽に洋書を読める環境になると。
日本での普及は、やはり日本語対応と和書コンテンツが大前提なんですが、
その裏では、ローカル言語対応なしで普及していく国も多いのかもしれません。
アジアでも、ビジネス界で英語が当たり前に使われるような国では、
むしろ翻訳をまたずに出たばかりの英語のビジネス書を
がんがん読みたいというニーズが高い気がします。
出たばかりのハードカバーは高いので、コスト的にもよさそうですしね。
リアルタイム性の高い雑誌や新聞へのニーズはもっともっと高いでしょう。


アジアの国では、英語に強い国がたくさんあります。
この前いったフィリピンでは、洋書が豊富でびっくりしましたし、
シンガポールや香港、台湾などはもう言うまでもないでしょう。
今回のインドネシア出張で、その国が「英語に強い」ということでなくて、
それがどんどん当たり前になっているんだなぁと実感しました。


デジタルデバイドならぬ、ランゲージデバイドっていうもの馬鹿にはできなさそうです。